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明治18年秋の旅 [18年『乙酉後記』]

しばらく開店休業状態だったが、ボチボチ再開しなければと自分にむち打った。
「武四郎を読む会」で今読んでいるのは、明治18年秋の旅を記録した稿本『乙酉後記』である。
春の旅の記録は『乙酉紀行』である。19年『丙戌前記』、20年『丁亥前記』とともに平成15年に『松浦武四郎大台紀行集』と題して刊行した。
来年3月には他の記録『東海道山すじ日記』、『丁亥後記』(いずれも稿本)と合わせて刊行する予定で、A会員を中心に解読を急いでいる。

春の旅=『乙酉紀行』

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秋の旅=『乙酉後記』

『乙酉後記』トップ1200.jpg

「庚辰の旅」まとめ [13年『庚辰紀行』]

四月十二日。出立。七平、お幾代、おしげが新橋駅まで見送りに来てくれた。夜は箱根湯本の小川楼で宿泊
十三日。宿を出る頃は雨であったが、箱根宿に着くころには晴となった。夜は蒲原宿泊り。
十四日。三島辺りでは上巳の節句に内裏の対雛を用いず菅公を飾っている。静岡の柏原氏宅に着き、古物を見る。
十五日。日本平北に鎮座する草薙神社を拝観。有度郡小鹿村の石堂を調べ、庵原郡上吉田村桃源寺を見学する。
十六日。大雨。安間純斎、中島辰太郎を訪う。純斎が箱根から出土の一尺一寸五分の石剣を一本見せてくれた。
十七日。沓部村の足立氏を尋ねる。掛川より古銭一箱、袋井よりは古画、金屏風一双等が来たので拝見した。
十八日。十時過より出立。見付宿足袋や古田源六により、天竜川治水に尽くす金原明善に逢い、ここで昼食。
十九日。朝疾く二川宿橋万へ寄り、十時前豊橋の米阿弥、稲垣氏を訪ふ。掘出しの車輪石、勾玉、管玉等を見る。
二十日。名古屋到着。待ち合わせていたドクトルロレツチヤは待あぐみて出立したとか。佐々木復助を尋る。
二十一日。佐々木氏と名古屋博覧会に赴き猿面茶室、徳川家の書斎、熱田神宮出品の『日本書紀』写本等を拝観。
二十二日。紙半で古筆年鑑を見、讃岐切五行を入手。日下部鳴鶴と合流して真福寺の宝物『古事記』写本を拝観。
二十三日。日下部氏とまた博覧会を訪れた後、関戸家へ赴き、抹茶家の同家の座敷向きや茶道具に感心する。
二十四日。大垣へ回るという日下部氏と別れ、津島経由で多度神社に赴く。参詣後、大黒屋に泊まる
二十五日。桑名から新町の知人を訪ね、四日市から津に入る。
二十六日。岩村県令や岡、辻といった好古家を訪ね、前年になくなった野田九十郎宅に寄る。川喜田家も訪問。
二十七日。古銭家の長良氏を訪ねたあと、故郷の小野江では本楽寺で墓参し、本家久兵衛宅にて泊る。
二十八、二十九日。卯三郎同道、駒吉、倍吉等により、伊勢に入り亡き師足代弘訓宅を見舞う。両宮を参拝。
三十日。雨。松木美彦を訪い、豊宮崎文庫の物を見る。福井丹隠、松田適翁らが歓迎の小集を開いてくれた。
五月一日。宮川の上の渡しを船で渡り、田丸、丹生に到る。伊勢暦の版本を見、粥見の辻屋新七に宿を取る
二日。櫛田川に沿って西進。宮前、珍布峠を越えて赤尾、田引、七日市、波瀬と進んで、舟戸入口で宿をとる。
三日。荷物運びを頼み、舟戸から高見大峠に到る。小峠、杉谷を経て、あとは高見川に沿って一気に吉野に入る。
四日。喜蔵院の宮城氏の案内で諸仏堂を拝観。昨年約束をかわした竹林院隠居の古沢龍敬と連絡をとってもらう。
五日。昨年知り合って今回大峰奥駈けの行を共にする小西善導が到着。龍敬も帰ってきて顔合わせができた。
六日。メンバーは武四郎、善導、先達の喜右衞門の他、三人の合力がつくことになり、山中の持ち物を揃えた。
七日。一行六人で出発。戸開き参加の大勢の信者達に交じって山を登る。等覚門、妙覚門を経て山上本堂到着。
八日。早起きをして本堂前で般若経三巻を唱し、七時出発。小篠の宿、大普賢岳、石伏宿を経て弥山で泊まる。
九日。禅師宿、仏生山、孔雀岳、鐺返しを経てやっと釈迦岳に着いた。全方向、頂上からの眺望は圧巻であった。
十日。鉈削りで卒塔婆一本を作り、供養塔にする。今日の行程は前鬼までで行者坊に着く頃、雨が降り出した。
十一日。行者坊を基地に裏行場の前鬼川の遡行に出掛ける。滝の連続する行場だ。この山中で育てる仔牛を見る。
十二日。行者坊を出立。滝を見ながら坂道を下る。蝮に要注意。熊野街道に到着して、同行の善導たちと別れた。
十三日。宿の主人の案内で筏師の筏の操り様や曲乗りをおもしろく見物する。筏師達に東京の話をせがまれた。
十四日。高原村、平谷村、川端村、小松村。この辺り奇岩、大岩が多い。舟を雇って両岸絶壁の瀞八丁を下る。
十五日。案内を頼んで玉置山に登る。本宮に入り倉矢数見を尋ねた処、一宿をと勧められて泊まることとなった。
十六日。倉矢の案内で本宮とその周辺を探訪する。宮司の音無氏が出してくれた宝物を拝観。のち湯の峰に到る。
十七日。音無宮司が和歌三首の餞をしてくれた。本宮から新宮までの九里を舟で下る。着いて徐福の墓を尋ねる。
十八日。微雨。町内は西国巡礼が多く泊る、賑やかな町だ。祠官楠氏を訪ね、熊野速玉大社の宝物を拝見する。
十九日。井上、鳴神の両人同道で、熊野那智大社に参詣し、宝物を拝見した。那智の滝を眺め、実方院に泊まる。
二十日。那智の滝は高さも広さも無双の名瀑だ。案内の者を頼んで、那智の奥のいくつもの滝回りに出掛けた。
二十一日。出立。柿原茶屋、見起峠、湯川王子社、岩神坂、媒介茶屋。中河王子社を経て、栗栖川村に到り泊る。
二十二日。宿の亭主に荷物持ちを頼んで出立。市ノ瀬王子。後鳥羽院垢離場、影見王子社を経て田辺に到着した。
二十三日。船に乗っての湾内見物は風波荒くかなわなかった。綱不知、風なき浜等を見、、中内翁宅に到り宿る。
二十四日。御腰掛石、潮垢離の浜を経て、江の浜から船を雇って方養村へ。道成寺に到って門前に宿をとった。
二十五日。富安王子社等を経て鹿背山の峠を越す。湯浅町から船に乗って、翌朝早く紀伊三井寺の下に着いた。
二十六日。一日滞留してゆったり紀伊三井寺と和歌山城下を回る。倉田秋香宅に落ち着き元県令津田香巌を訪う。
二十七日。早天より志賀八十左衛門を尋ね、勢州泊村にて出土の古代鈴を譲り受ける。秋月村に至り紀氏を訪う。
二十八日。終日、和歌山の人との交流を図った。二十九日。紀伊和泉の堺を越え大鳥の富岡鉄斎宅に落ち着いた。
三十日。税所氏を訪ね、飲む。三十一日。鉄斎と堺に至り、竹林院隠居の古沢龍敬を訪ねる。一雄宅に落ち着く。
六月一日。大阪の知人宅を訪ねて回る。二日。田中猶次郞宅を訪う。天王寺の宝物を拝観するもあまり感心せず。
三日。阿波座の骨董商を訪う。四日。大阪の好古家たちが道修町池田氏宅にて送別の一小集を催してくれた。
五日。一番列車にて西京に着き、鏡匠の金森氏宅に宿を定む。 六日。旧知の者を訪い、小林氏宅で古物を見る。
七日。西嵯峨の山中氏を訪うて午後に到る。小松原、福井、高島に到る。夕方西陣森川を訪う。
八日。二条善導寺にて尚古会を催す。出品、参加者、前年に増し盛会となる。橘諸兄卿像が特に目にとまった。
九日。各方面に却礼に回る。西村氏に昨日の会の席上見た橘諸兄卿像の周旋を人に頼んだが、不調に終わった。
十日。京都駅に到り、発車間際に一人の婦人が橘諸兄卿像を抱いて持ってきてくれた。関の玉やに宿をとった。
十一日。晴海宿大津やに泊。 十二日。豊橋米善へ着す。十三日。日坂黒田や泊り。十四日。静岡柏原氏に着す。十五日。箱根角やに宿す。 十六日。藤沢大坂やにて泊る。十七日。十一時帰宅。亀次郎の容態は芳しくない。

六月十七日帰宅 亀次郎の容態が心配 [13年『庚辰紀行』]

十一日。晴海宿大津やに泊。
十二日。豊橋米善へ十一時頃に着す。太古、蓬宇、米阿弥等来る。稲垣氏に到る。。
十三日。日坂黒田や泊り。天竜川端金原明善による。戸川氏も来り飲む。
十四日。午前十一時静岡柏原氏に着す。当宿に滞留中の日下部鳴鶴君と逢い飲む。
十五日。午前十時に出立。箱根、山中村角やに宿す。涼し過ぎて夜半大に困る。
十六日。箱根。畑辺に到るや雨。小田原辺いよ〳〵降る。藤沢大坂やにて泊る。まだ三時前也。
十七日。金奈川に着、九時頃蒸気車にて十時五分に新橋着。十一時帰宅。亀次郎は自分が帰ったけれどさして悦ぶほどの気力がなかった。
十八日。柏木道雄、一雄、金森、卯三郎、吉野山、西村、中西、武輝等に帰着の旨知らせた。

京都でも古物会 [13年『庚辰紀行』]

五日。一番列車にて西京に着き、鏡匠の金森氏宅に宿を定む。
六日。旧知の者を訪い、午後上加茂の小林氏を訪うて古物を見る。
七日。西嵯峨の山中氏を訪ふて、午後に到る。小松原、福井、高島に到る。夕方西陣森川を訪う。
八日。二条善導寺にて尚古会を催す。出品、参加者、前年に増し盛会となる。橘諸兄卿像が特に目にとまった。
九日。各方面に却礼に回る。西村氏に昨日見た橘諸兄卿像の周旋を頼んだが、不調に終わった。
十日。大津に向かうべく京都駅に到る。発車間際に一人の婦人が橘諸兄卿像を抱いて持ってきてくれた。大津から道を急いで、夜は関の玉やに宿をとった。
[晴れ]京都古物会出展物<刊本『庚辰游記』>
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[晴れ]橘諸兄公像<河鍋暁斎筆・『撥雲余興』第2集>
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大阪にて [13年『庚辰紀行』]

六月一日。西尾、池田、小原、山中、川喜多、高松大阪の知人宅を訪ねて回る。
二日。西尾氏、島尾氏と野堂町の田中猶次郞宅を訪れたあと、天王寺の宝物を拝観する。その量の多さに驚いたが、感心するようなものは少なかった。
三日。阿波座の骨董商を訪い、おもしろいものを見たが、なかなか売ろうとはしなかった。
四日。大阪の好古家たちが道修町池田氏宅にて送別の一小集を催してくれた。静逸な雰囲気の中、たくさんの古物を楽しむことができた。来年もまた、ということで分袖した。
[晴れ]大阪古物会への出展物<刊本『庚辰游記』>
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和歌山での交流 [13年『庚辰紀行』]

二十七日。早天より志賀八十左衛門を尋る。志賀氏は天保年間勢州の寺代官の任にあった人であるが、泊村にて伝三重采女の墓の石棺を掘出し、古代の鈴を三個得て紀州藩にもたらした。そのうちの一個は自分(武四郎)の有に帰したが、一個は志賀氏が持っている。前々から人を介して譲ってくれるよう頼んでいたが、果たせずにいたので直接頼むことにしたのだ。この度は直接に赴いたので快く譲ってくれた。秋月村に至り、日前、国懸神宮の紀氏を訪ね、社地から出土した品々を見せてもらった。
二十八日。終日、和歌山の人との交流を図った。
二十九日。車を雇って出立。紀の川を越え、紀泉の堺、岸和田を経て、和泉国大鳥の富岡鉄斎宅に落ち着いた。家からの書状が六通着いていて、亀次郎の病状が芳しくないことを知る。
三十日。堺県県令の税所氏を訪ね、飲む。
三十一日。鉄斎と堺に至り、竹林院隠居の古沢龍敬を訪ねる。鉄斎と別れて、大峰奥駈けを共にした小西善導を訪ねるが、留守であった。天満の一雄宅に落ち着く。
[晴れ]↓前々から武四郎が持っていた古代鈴<『撥雲余興』第1集>
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↓今回志賀氏から入手した古代鈴<『撥雲余興』第2集>
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日高川から和歌山市内へ [13年『庚辰紀行』]

二十五日。富安王子社、高家王子社、馬留王子社、鍵掛王子社と続き、鹿背山の峠を越す。沓掛王子社、津兼王子社、久米崎王子社を過て湯浅町に着く。中々の繁昌で醤油屋が多い。ここから和歌山まで船があるというので少し休んで午後九時に船に乗った。翌朝三時頃紀伊三井寺の下に着いた。ふんどし渡しで上陸。朝早すぎて寺の門も諸堂も開いていなかった。湯浅からここまでの陸路のあらましを調べておく。
二十六日。一日滞留してゆったり紀伊三井寺と市内の見学。妹背山、多宝塔、唐門、観海楼等を一巡後、蛤の焼鉢、比目魚の潮焼で朝食をとる。十一時に和歌山港に至り倉田秋香宅に落ち着く。夜、初代和歌山県知事で今は致仕している津田香巌を訪れた。

田辺から日高川・道成寺まで [13年『庚辰紀行』]

二十三日。朝早く、浜で夜釣から戻ってくる船をおもしろく見物。今日は便船して田辺周辺を眺めたかったけれど、風波が強いのであきらめた。江西の裏、綱知らず、風なき浜などを見て回り、鬪鷄社では神宝の高麗笛を見ることができた
二十四日。諸氏の訪問を受け滞留を勧められたが、先を急ぐことにした。あれこれ餞別を頂くことになったが、荷が増えるばかりで困るのでそれを絵に描いてもらうことにした。御腰掛石、潮垢離の浜を経て、江の浜から船を雇って方養村に到る。南部川、千里王子社、滝尻王子社、切目王子社、富王子社、上野王子社、塩屋王子社、美人の王子社。御所の芝を越えれば日高川。その水源は十津川である。天音山道成寺に到って門前に宿をとった。



中辺路を下って田辺へ [13年『庚辰紀行』]

二十二日。宿の亭主に荷物持ちを頼んで出立。芝村を過ぎて、休憩に適した覗橋がある。潮見峠。那智を出てから三日海を見なかったが、ここで見られるのでこの名がある。高原村から古道があるので、その道筋を確認しておく。それによれば芝川を越すと滝尻王子があるが、ここは維盛が通夜をした所だという。王子社の上には剱山がある。市ノ瀬王子。後鳥羽院垢離場。その下に仙石権兵衛らが山本主膳と三年闘ったという戦場跡。岩田川。ここは歌枕の地で西行らが歌を残しているという。
 さて峰に出たので宿屋の亭主と別れて、自ら荷を背負うことにした。中の峠、捻木峠、水ヶ峰、長尾坂、一倉明神。上三栖村迄来ると、人家も地形も風俗も一変した。影見王子社あたりまで来ると人力車の姿があった。右の方に人国山といって万葉集に歌の出た山、蟇山があるというが、寄らなかったのが惜しい事であった。
 午前十一時頃、田辺到着。人家三千、安藤家の持城であったが。〉今は石垣が残るのみであった。新熊野神社は湛増が源平のどちらにつくべきかで鬪鷄で占った所である。市内中田素平に逢い、午後三時頃まで話をしたあと、便船して田辺湾を回り島や岬を眺めた。瀬戸村で上陸、罪なくして配流された安達藤九郎の祠を見る。参詣人も多いということだ。権現山を見ながら白良浜を歩いた。
[晴れ]↓挿絵<田辺湾から白良浜を眺める>
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