So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

第四番黒岩山遍照院大日寺 [『四国遍路道中雑誌』]

第四番黒岩山遍照院大日寺〈従三番一り。板野郡黒谷村に有り。大師の建立。本尊大日如来。御長一尺五寸。弘法大師の作也。並て〉大師堂、〈並て〉鎮守社、〈並て〉 三十三所観音堂〈等有。境内山にそうてひろし。風景またよろし。
 詠 眺れば月白妙の夜半なれやたゞ黒谷に墨染の袖
少しの山道を越て下る。此辺農家そここゝに部落す。土地随分繁昌の場所なり〉
第五番無尽山荘厳院地蔵寺

第三番亀光山釈迦院金泉寺 [『四国遍路道中雑誌』]

第三番亀光山釈迦院金泉寺〈同郡大寺村に在り。弘法大師の開基也。本尊釈迦如来は、御長三尺。七間四面の堂に安置し給ひしと。むかしは頗る大寺なりしによりて、今、村名に迄大寺と用ゆる也。又傍に五智如来の塔の礎有。此本尊は小堂を立て是に安置す。何れも弘法大師の作也〉春日社、〈並て〉弁天社、〈小池の中に有。又傍に〉亀山法皇の祠、〈並て〉大師堂〈等有。何れも物寂たり。
 詠歌 極楽の宝の池を思えたゞこがねの泉すみたゝえたり
又寺内より打ぬけする処に〉黄金井〈と云もの有しばらく行て〉おかの宮、大師堂〈小庵なり。大師御順行の時建立なりと。つゞきて〉犬ふし村、〈並て〉なとう村〈此処また茶店有。是より谷川にそうて十八丁のぼりて〉
第四番黒岩山遍照院大日寺

第二番日照山極楽寺 [『四国遍路道中雑誌』]

第二番日照山極楽寺〈同郡桧村。開山行基菩薩。本尊阿弥陀如来。左り薬師如来、右弥陀如来、何れも行基菩薩の作也。大師堂、鎮守の社有。
 詠 極楽の弥陀の浄土へ行たくば南無阿弥陀仏口ぐせにせよ
門前に茶所、茶屋等有。止宿せるによろし。畑道少し行。凡二十五丁行て河端村に到り、逢坂番所より入らば、此寺のうらに来る〉
第三番亀光山釈迦院金泉寺

遍路霊場第一番札所竺和山一乗院霊山寺 [『四国遍路道中雑誌』]

遍路霊場第一番札所竺和山一乗院霊山寺〈板野郡板東村に有り。本尊、釈迦、弥陀、大日、皆大師の作也。此三尊皆別に小堂を建て安置す。就中釈迦如来を本尊としけるよし。天竺の霊山を此方へ移せしゆへ竺和山と号するよし。境内に〉大麻彦神社、〈並て〉律社、〈又並て〉中宮、〈又並て〉西の宮〈の社有。左りの方に〉大師堂、〈前には〉二金剛。〈右二つは国主より造立せらる。茶堂有。又門前に茶屋二軒有。泊るによろし。
 詠 霊山の釈迦のみまえにめぐり来て万のつみもきえうせにけり
又是より畑道行こと十二丁にして〉
第二番日照山極楽寺


=======================
『四国遍路道指南』より
道指南83-1.jpg


医王山遍照院大窪寺(二) [『四国遍路道中雑誌』]

扨、是より左りへ行ば〈岩角険路をしばらく越て、阿州分〉碁の浦〈此処山の崖にして、右の方は数十仞の断崖、左りの方は波浪岸へ打。一歩をあやまたば粉身砕骨になる地なり。番所有。出入の切手を改む。少しの坂を越、五、六軒づゝの村家数ヶ所に有。一り斗も行て〉鬼の尾村〈此間一りは頗る険路にして犬もどり、猿もどりと云なん所有。村に至る道少しよろし。又田畑も有なり。此村迄は阿州分に懸りてより田畑少しも見ず。実に僻境と云もあまり有里なりき〉

万台山鬼骨寺〈板野郡鬼の尾村。浄土宗にして本尊弥陀三尊、円光大師の開基也。境内にムロの木の大木十三本有。皆杉なりに造り、甚見事也。当寺因縁書に、昔此処に鬼人住たるを、源空上人四国に流罪になり給ひし頃、御教化ましまして成仏を得させ給ひしと云伝ふ。其窟、村より五丁奥に有。又当寺に鬼の骨と云るもの有。百文づゝにて開帳するなり。
扨、是より又海辺を行て、四りにして〉

撫養湊〈入口を土佐泊りと云。此辺り皆塩浜にして繁華の地なり。商戸漁家、甍を併べて美々敷所なり〉岡崎〈並て〉早崎。〈並て〉宮の浦。〈並て〉安芸守〈等一つの湊をかこみて部落す。人家凡一万二三千軒と云伝ふ。此余はしばしに少しづゝの在家多し。浜の方には船大工並船釘鍛冶。塩焼浜。宮の浦辺にては漁者多し。岡崎辺には女郎屋多し。
木津上、土佐泊り辺には問屋、商人多し。実に繁華の湊なり。扨、是より船渡しを越て一り斗行て〉

大毛村〈人家十二、三軒。撫養分也。少しうらの山を上りて〉亀大明神。〈此処より鳴戸、眺望よろし。むかし鳴門より一箇の甕の上りたるを祭るよし。いつの頃よりして亀の字に書あらたむ。右の方〉大毛山〈此処より鳴門眺望の台有て、春は撫養湊へ着し船頭、水主どもの遊散山場となる。又左り方を眺れば〉孫崎〈並に〉御茶屋〈国主より建置る。御巡国の時は領主此処に宿し給ふ也。又役人一人常に相詰ること也〉

鳴門〈向は淡路島、行者が鼻に対し、其間凡十八、九丁と思わる。土人は一りといへどもさは無様に思わる。大海より満来る潮も、中国の方より干る汐も、満干ごとに此門にあつまれば、汐のはやきこと矢よりも疾く、其勢盤石をも転倒すべく、順水にあらざれば如何なる小舟、大船をも渡ることかたし。此門のさまを見るに行者ヶ鼻より此方、はだかじま、丁子が口へかけては暗礁つゞきにして、さながら深しとも思われねども其左右は如何斗りのことか、深底をはかりがたし。干汐の時には右の方低くなりて瀑布のごとく、満汐の時は左りの方低くなりて落るさま、如何にもするどく此方彼方に当る。潮、渦巻て高く低く運動し、別て三月三日前後は近国の風流士、皆此処に酒を携て来り給ふ。其眺望前に図するが故にこゝにしるさず。

因に歌をこゝに一つ二つしるし置に
 むこのうら朝みつ汐の追風に阿波しまかけてわたる舟人 人麿
 ゑのこ草をのが種とてあるものをあわのなるとはたれかいふらん 読人不知
等聞侍るまゝしるす。また近き世の人のうたとて
 夕されば鳴門の海のはやき瀬に雪こきまぜてさゆるうら波 浪花 常房
 此鳴門汐路になれし船人もなをかろうじて渡りやすらん 同 蕪坊
 音さへもすごく鳴戸のとうとうと渦まくのゝ字のふ恐ろしや 同
等也。また古歌に、
 さし汐のはげしくも有かしばしして鳴門の浦にかゝる舟人 幽旨法師
 まごさきにかゝりて見るやうはらしのいくせになると渡りつくせよ 西行法師
 秋深く鳴戸の海の早汐に落行月のよどむせもがな 御製
 いそがでや棹引をりて舟人もあすわなるとの汐やまつらん 読人不知
 心してとまひきをぼえ浮雲も雨になるとのおきつ船人 従三位成清
此余も多きよしに聞侍れども聞まゝを抄する。扨是より撫養の方に帰りて浜に出るや〉磯崎〈此処に松の大木有しとかや。今も其古跡残れり出崎にして風景よろし。
 立かゑりまたも眺ん里の海士のおもがはりすな磯崎の松 西行
並て少し南の方に〉
里村〈此処より若海布を出す。鳴門わかめ、則是なり。又此村に〉人麿社、〈少し下の方に〉清少納言の塚〈土人の云に清少納言はしばらくこの辺りに漂泊し給ひしと云。其跡なりとて方五輪の古き石塔有。又人麿の社も此辺りに来り給ひしと云伝ふ。然れども是はさだかならず。
 浦風になびきにけりな里の海士のたくもの烟りこころよはさに 実方朝臣
尚此余古跡多し。撫養、岡崎にもどる。市町つゞきにして〉

木津上〈撫養の南のはしなり。商戸のみにして繁華の地なり。土人の言に、此辺昔しは波打際なりしが、いつしかかゝる岡地になりしと云伝ふ。
 木津上のうらにとし経てよる浪もをなじ処にかへるなりけり 菅家
町の中程に〉

護国山長谷寺〈真言宗弘法大師の開基にして境内ひろし。本尊十一面かんおん。寺内に金毘羅の社有。毎年十月十日御祭礼にして、近在より群衆をなす。又入船の船頭、水主集り来りて相撲を興行す。市町を出て、左り徳島道。右一番は霊山寺へ行也。此間一り半斗、皆農家つゞきにして、到て富る土地なり。砂糖並に藍を製す。しばし行て〉
遍路霊場第一番札所竺和山一乗院霊山寺


=======================
挿絵「鳴門眺望之図」
1-06.jpg


八十八番医王山遍照院大窪寺(一) [『四国遍路道中雑誌』]

八十八番医王山遍照院大窪寺〈従長尾寺四り。本尊、薬師如来。座像。御長三尺。当山は行基菩薩の開基なりとかや。一端荒廃せしを、大師順行の頃に再建し給ひしとかや。
 詠歌 南無薬師諸病なかれと願かけてまゐれる人は大窪の寺
境内に大師堂、地蔵堂、並鎮守の社。又是より十八丁上りて山に〉 奥院〈といふもの有なり。岩窟に弥陀の尊像有。則大師求聞持修行ありし処なりと云伝ふ〉中野村〈へ一り。此間山道、ところどころに農家有。又一番より順に札を納めんと思ふ人は、此村より白鳥か引田へ出、其より碁の浦の番所を入て阿州牟屋の湊にかゝりて、一番より順に打もよし、其順路は次にしるす。然し道順は少し遠し。故、遍路衆は是より十番に出、一番迄逆に札を納めて一番より十一番藤井寺迄打もどり打こと也。然し其道は到て山道のみにして、眺望もなければおもしろからず。 浜辺道は嶮路なる処もあれども眺望よろし。我は両道ともに通りたり〉狸合村〈つゞきて〉大がけ村。〈此処茶屋二軒斗有。庵寺有。行暮なん儀のものは止宿するによろし。是迄讃州分也〉境〈讃州阿州の境少しの峠也。少し下りて〉

ひかひ谷御番所〈阿州侯より小き番所を置らる。国に入るものは、皆此所にて入切手と云ものをとりて持行事也。是より山道しばらくにして、十番切幡村に到る。八十八番より五里、何れも山道にてよろしからず〉
また浜通りをしるさば〈中野村より谷つゞきを下ること三り斗にして〉白鳥村〈大内郡なり。町家二百軒斗、町のうらは浜辺にして磯馴松有。町中に〉白鳥宮〈祭神、日本武尊。祭礼四月九月八日に市有。近村より群集す。一ノ鳥居。勅額門。社前に橘、桜を植たり〉五社明神、〈並て〉稲荷社、〈並に神馬屋。社家四軒。下馬札有て境内広く、到て美麗なる処なり。又門の傍に鶴の宮とて鶴を置たり。此辺浜にては塩を焼、陸にては砂糖を製し、土地随分豊饒の様に見たり。
○又、志度寺より此処へ来るには、海岸通り、路随分よろし。二り半来りて津田浦。六、七百軒の市町也。此辺りも塩釜多し。半り来りて小松町。此間皆松原つゞきにして風景よろし。津田の松原とて古歌等有なり。又一り来りて白鳥浦也。二り行て〉

引田〈千軒の湊。出入の船多し。故に商戸、漁家甍を並て美々敷市町也。又此処より醤油を製す。塩浜多し。越て、一り斗行。追分道有。右へ行ば逢坂越と云を至し、三番の金泉寺のうらえ出る也。此道は源九郎義経の越給ひしと云伝ふ、其土地を案ずるに左も有べきやに思わる。碁の浦は中々馬の蹄の立べき道なし。ひがひ谷の方は回り道也。逢坂番所有。是又ひがひ谷に同断。出入の切手を改む。以上讃州路、三十六丁道程三十六里五丁〉


八十七番補陀落山観音院長尾寺 [『四国遍路道中雑誌』]

八十七番補陀落山観音院長尾寺〈従八十六番一り。在道斗也。此寺は聖徳太子の開基なりと云伝ふ。其後、大師再興し給ひしとかや。本尊は御長三尺二寸、正観音。聖徳太子の御作なりとかや。境内、大師堂、鎮守の社有。
 詠歌 あし引の山鳥の尾の長尾寺秋の夜ながら弥陀をとなへよ
此村よりすこし山手に、長曽我部宮内少輔昼寐の桜と云もの有よし、土人言伝ふるに、此花如何なる日にても花さく頃は昼九つ頃にしほるゝと云伝ふ。むかし、元親、四国を切随えて、此処に午睡をしられしと云伝ふとかや。又、是より少し北に当りて和尓加波神社と云もの有と聞。又長尾寺より平木と云処にかゝり、山に入に小簑が滝と云もの有よし。当国第一番の瀑布也と聞まゝにしるし置るものなり。扨是より遍路道を行て〉まえ山村〈農家のみなり〉、がく村〈此辺り山道多し。是より少しの山にかゝりて庵寺有。此処大師御修法の処なりと云伝ふ少し。山に上りて〉二王門〈並に茶堂、本坊何れも物寂たる霊地なり。入て〉
八十八番医王山遍照院大窪寺

八十六番補陀落山清浄光院志度寺 [『四国遍路道中雑誌』]

八十六番補陀落山清浄光院志度寺〈従八十五番一り。当寺は行基菩薩の開基にして、本尊十一面観音。立像、御長五尺二寸なりと。其後一端廃せしを、大師順行の時に再建なし給ひしとかや。又或説に、推古天皇の時に藤原朝臣某奉敕て建るとも云伝ふ。
 詠歌 いざさらば今宵はこゝに志度の寺いのりの声を耳にふれつゝ
また境内に〉十王堂、〈並に〉鎮守社、〈大師堂等有。扨又此少しうらの方に〉奥院〈と云るもの有。地蔵尊を祭る。又園の寺と云もの有。尼寺なりと。本尊は文殊菩薩。何か観音の由縁有よしなり。此辺り砂糖を多く作れり。是より三十丁斗南に当りて、南日内山と云山有。 扨少し行〉ながゆく村、〈又少し行て〉みやにし村、〈等越て長尾寺村に至る。少しの町家有〉二王門、〈並に〉茶堂〈等有〉
八十七番補陀落山観音院長尾寺

八十五番五剣山千手院八栗寺 [『四国遍路道中雑誌』]

八十五番五剣山千手院八栗寺〈従屋島寺一り。寒川郡むれ村。境内次に図するがごとし。大師、求聞持修行の節、宝剣五柄を天より下し給はりしによつて名とし、又大師入唐以前心みに焼栗を八つ程此処に植給ひ、我法世に興隆せば此栗生ずべしと謂ひしが、果て生ぜしと。其によつて寺号とす。本尊千手観音の立像。御長五尺。大師御作也と云。祭礼正月十六日なりしと云。
 詠歌 煩悩を胸の智火にてやくりをば修行者ならで誰かしらまし

扨是より奥の院と云もの有て、かたく女人を禁じ、また七つ下りには参詣を不許。二、三丁上りて〉役行者祠〈又少し上て〉窟大日〈御長一丈六尺有といへり。大師の作也。此窟にて大師護摩修行有しとかや。是より岩角を攀、樹根にすがりて上ること二丁斗にして、弥山の禅定に到る。鎖にすがりて行こと凡三十歩斗〉
奥院蔵王権現祠。〈則、次に図するごとき岩の上に有。扨、下りて地蔵堂。大師堂。本坊の傍より下ること凡十七、八丁斗にして〉たい村〈野道少し斗行て〉 大町村〈又川有。越て海岸に添、しばらく行て〉志度浜〈此処、人家千軒余。舟着にして日々運送の船出入たゆること無。然し、農家商戸皆さかんなり〉二王門〈門前に茶屋有。入て茶堂等美々敷、又寺坊三ヶ寺有。向て左りの方は直に海岸にて、磯馴松有。風景至てよろし〉
<八十六番補陀落山清浄光院志度寺


=======================
挿絵「五剣山八栗寺図」
1-05.jpg


八十四番南面山屋島寺 [『四国遍路道中雑誌』]

八十四番南面山屋島寺〈従一ノ宮三り。従高松二り。山田郡なり。別当千光院南泉寺といふ。本尊千手千眼観音。弘法大師の自作らせ給ふ。又当山の縁起といへるものに、孝謙天皇天平宝字の頃、大唐より舶来の僧鎮宗和尚といへるに勅して、建立ましましけるとも云伝ふ。本堂の額に、遍照金剛 三密行所 当都率天 内院管所と、勅筆様にて書たるを懸る〉
 詠歌 あづさ弓八島の宮にもうでつゝいのりをかけていさむものゝふ

〈境内に〉熊野三社〈拝殿等美々敷建たる社也。又二王門の前なる〉南泉寺〈には本尊、弘法大師作の不動尊を安置す。境内より西、眼下に高松の城下を眺望し、北の方には小豆島並に備前児島郡を手にとる斗に見、風景言んかたなし。扨、是より打ぬけに二王門より東に入りて〉瑠璃の池〈といへるもの有。また誰が号つらん。近年、源平血の池といへり。過て、小松原なる九折を凡十五、六丁も下りて〉むれ村〈塩浜、漁家、農家接り。村中に〉佐藤継信、忠信の墓〈といふもの有。又上の方に〉爪生山〈少しの山なり。海岸浪打際にいたり〉いのり岩。〈少し斗海に入て〉駒たて岩。〈那須与市此処に駒をとゞめて、扇の的を射たりと云伝ふ。然れども、其地中に少しも証とするものなし。又村中に〉
洲崎寺〈本尊、聖観音。弘法大師の作也。此寺より源平血戦の始末書をうり出す。皆浮屠氏の説にして見るべきものにあらず。 扨、是より左りに行ば、安戸浦といへる漁浦に出て、海岸通り志度寺に行によろし。然し、道甚回り也。扨、此村より九折十丁斗を上りて〉
二王門〈前に常灯明有。又茶所一軒。此処より下を望めば、むれ村並安戸の二村一目に見え、至極よろしき処なり。扨、門を入て〉鐘楼堂、〈向て〉聖天堂、〈並て〉鎮守、〈正面〉 八十五番五剣山千手院八栗寺


=======================
挿絵「屋島寺之図」
1-04.jpg

=======================
『平家物語』「扇の的」段
矢ごろすこし遠かりければ、海へ一段ばかりうち入れたれども、猶扇のあはひ七段ばかりはあるらむとこそ見えたりけれ。ころは二月十八日の酉刻ばかりの事なるに、をりふし北風はげしくて、磯うつ浪もたかかりけり。舟はゆりあげゆりすゑただよへば、扇もくしに定まらずひらめいたり。おきには平家舟を一面にならべて見物す。陸には源氏くつばみをならべて是を見る。いづれもいづれも晴ならずといふ事ぞなき。与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現宇都宮、那須のゆぜん大明神、願くはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ。これを射そんずる物ならば、弓きり折り自害して、人に二たび面をむかふべからず。いま一度本国へむかへんとおぼしめさば、この矢はづさせ給ふな」と、心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹きよはり、扇も射よげにぞなッたりける。与一鏑をとてつがひ、よッぴいてひやうどはなつ。小兵といふぢやう十二束三ぶせ、弓はつよし、浦ひびく程ながなりして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひィふつとぞ射きッたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさッとぞ散ッたりける。夕日のかかやいたるに、みな紅の扇の日いだしたるが、白浪のうへにただよひ、うきぬしづみぬゆられければ、奥には平家ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、箙をたたいてどよめきけり。
前の10件 | -