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象頭山十二景之図 [『四国遍路道中雑誌』]

現代の「こんぴらさん」=金刀比羅宮は明治の神仏分離令の荒波を被った結果であるが、武四郎が赴いた天保の時代には神仏の習合した「象頭山金毘羅大権現」と呼ばれていた。
ここからは絶景を望むことができると記し、「又当所の十二景とて・・・」と12箇所の景色をあげている。当時の摺りものを借りて確認してみる。
十二景図6.jpg


前項の眺望図はこのような「十二景図」と構図としては同じである。眺望図はスケッチしたのではなく、このような図を下敷きにした、と見ることができる。

象頭山金毘羅大権現 [『四国遍路道中雑誌』]

四国上陸した丸亀は、

繁華の湊なり。是より多度津二り、金毘羅山金鳥井へ百五十丁。又札所に直に行時は七十八番、宇多津の道場寺へ三十丁也。然れども、先元来余も信仰のことなりしかば、是より象頭山に参詣を致しけり。

と記し、琴平参詣の案内を先行させている。これは当時の人たちの動向を反映させているのかもしれない。文章で記述もしているが、分かり易く挿絵を提供してくれる。

挿絵
遍路1-06左右合わせ1500.jpg


武四郎のくずし字は読みにくいという評判なので、読み解いてみよう。
象頭山眺望図読み1500.jpg

四国上陸 [『四国遍路道中雑誌』]

遍路として本州から四国へ渡るルートはいくつかあるが、武四郎の推奨するのは備中下津井-丸亀のルートであった。これは当時遍路道としても琴平参詣道としても一般的であった。
その際、注意すべきは船賃と通行切手について知っておくことであった。次のように記す。

海上七り、船賃七十弐文、切手銭十三文。・・・ 丸亀にて船上り切手と云るものをもらひ行ことなり。其切手は上陸の上、問屋に行て船改所に国元の寺、往来を書認めもらふこと也。右の代銭八十五文也。此船揚りを持たざるものは土州甲の浦 の番所等にて、甚陸ヶ敷云て通さゞること也。故に遍路の衆は皆失念なく此湊にて揚り切手を取行かるべし。

実際彼はこの下津井-丸亀ルートを採ったわけではないので、ここに書かれた船賃、切手銭、船上がり切手の値段は、調査あるいは聞き取りで得たものであったから、船の大きさや乗り降りの状況によって多少の違いは出て来るかも知れない。
船揚がり切手を持っていないと土州甲の浦の関所で厳しく詮議される、というようなことはその通りかと思われる。



遍路の準備 [『四国遍路道中雑誌』]

現代の四国遍路のガイドでも、まず遍路の装束・持ち物について記すように、武四郎も遍路に際して何を準備すればいいかを次のように記している。

莎笠(スゲガサ)〈奉遍路四国八十八ヶ所、南無大師、遍照金剛并四句の文、国所、姓名、同行何人、又は一人ならば二人と書、二人ならば三人と書こと此処の法也〉 札挟〈南無大師、遍照金剛の字を両脇に書。中行、奉遍礼四国八十八ヶ所、同行何人と書也。并に国所、姓名を認む。一寸五、六分に五寸位の板二枚を合せしもの、此間に納札を入るゝ也。札所并に接待所、并宿屋等にては、此札一枚づゝを皆置こと也。 杖〈杉の木にて角に削る。〉

『四国遍路道中雑誌』(松浦武四郎記念館所蔵)冒頭
103b.JPG

『四国遍路道中雑誌』 [『四国遍路道中雑誌』]

全国行脚の途次にあった武四郎は、天保7年19歳の時四国にわたり、八十八箇所めぐり、及び石鎚山等への登山を体験した。
その時の記録は数年筐底にあったが、天保14年(26歳)の秋、蝦夷地への旅を志して故郷に立ち寄った際、翌年春(27歳)に再出発するまでの間に一冊の稿本としてまとめたのであった。
書名に「日誌」の字句はなく、また稿本冒頭に「巻中月日のことは是また贅物たりしかばしるさず。只簡ならんことを主とすればなるべし」とあるように日々の見聞を記すのではなく、案内ガイドを作ろうとしていたことがうかがえる。
彼は小さい頃から「名所図会」の類に親しんでいたが、日誌をもとにして「体験型名所図会」として再構成したのである。

『自伝』に次のように記されている。
19歳天保7年の条
(紀州和田から阿州撫養に渡り)板東霊山寺より順次拝之。廿番鶴山の奥の院、灌頂ヶ滝、大竜寺奥の院、黒滝寺一つとして是を餘すなく、三月土佐に入り、四月伊予国五十七番横峰寺奥の院なる石槌山に上る。・・・順拝相終て讃岐国金比羅より山越して阿州なる箸蔵寺に上り、祖谷山に越、怒竈、鳴滝、七段滝を過て剣山に上る。爰に到るや石鎚岳を南西に見、焼山寺岳を東に見ゆ。当春焼山寺に上るや実に其高きこと南海第一と思ひしに、今日爰に到り焼山寺を此児孫の末に見るをや。・・・其より撫養に出又紀州和田に渡り・・・

自伝のこの記述に従えば、彼の四国への出入ルートは紀州和田-阿州撫養であった。しかし『四国遍路道中雑誌』に記された出入ルートは、当時の人たちが四国遍路あるいは琴平参詣によく使っていた備中下津井-讃州丸亀である。この違いは、実際の旅から数年を経て、自分の体験を案内ガイドとして再構成しようとしたからであろう。

弘化元年稿.JPG


書いた時期は、稿本巻一の裏表紙に「弘化元年稿/二十八才/四国遍路日誌全三冊」と記しているように、蝦夷地に赴くために一旦故郷に立ち寄った4ヶ月ほどのことであった。「二十八才」というのは彼の勘違いで「二十七才」とあるべきところだ。

『自伝』26歳天保14年の条
去年二月十二日母の身まかりしことたよりありしかば、是よりして帰省のこと思ひ立て、八月大村領なる舟を便して十月上旬上坂し、京に到りてまたしばし休らひて伊勢の国に帰りけるが・・・

『自伝』27歳弘化元年の条
二月十二日は母の三年忌なりける故、父の七年忌も共に行はるゝよし。其こと済けるや否、予は直に十五日両宮へ参り再び家出せんと・・・

看板のかけかえ [総記]

2016年度は、『明治二年東海道山すじ日記』、『乙酉後記』、『丁亥後記』を解読して、本年(2017)3月に「松浦武四郎著 明治稿本集」として出版したが、当ブログには何も載せずにきてしまった。 武四郎が残した明治期の旅行日誌稿本の解読・出版は完了したので、2017年度は武四郎19歳の四国遍路を追うことにした。 当ブログの看板が「明治を・・・」となっているので、その部分をはずして、引き続き武四郎の足跡を追うことにする。

明治18年秋の旅 [18年『乙酉後記』]

しばらく開店休業状態だったが、ボチボチ再開しなければと自分にむち打った。
「武四郎を読む会」で今読んでいるのは、明治18年秋の旅を記録した稿本『乙酉後記』である。
春の旅の記録は『乙酉紀行』である。19年『丙戌前記』、20年『丁亥前記』とともに平成15年に『松浦武四郎大台紀行集』と題して刊行した。
来年3月には他の記録『東海道山すじ日記』、『丁亥後記』(いずれも稿本)と合わせて刊行する予定で、A会員を中心に解読を急いでいる。

春の旅=『乙酉紀行』

page021.jpg


秋の旅=『乙酉後記』

『乙酉後記』トップ1200.jpg

「庚辰の旅」まとめ [13年『庚辰紀行』]

四月十二日。出立。七平、お幾代、おしげが新橋駅まで見送りに来てくれた。夜は箱根湯本の小川楼で宿泊。
十三日。宿を出る頃は雨であったが、箱根宿に着くころには晴となった。夜は蒲原宿泊り。
十四日。三島辺りでは上巳の節句に内裏の対雛を用いず菅公を飾っている。静岡の柏原氏宅に着き、古物を見る。
十五日。日本平北に鎮座する草薙神社を拝観。有度郡小鹿村の石堂を調べ、庵原郡上吉田村桃源寺を見学する。
十六日。大雨。安間純斎、中島辰太郎を訪う。純斎が箱根から出土の一尺一寸五分の石剣を一本見せてくれた。
十七日。沓部村の足立氏を尋ねる。掛川より古銭一箱、袋井よりは古画、金屏風一双等が来たので拝見した。
十八日。十時過より出立。見付宿足袋や古田源六により、天竜川治水に尽くす金原明善に逢い、ここで昼食。
十九日。朝疾く二川宿橋万へ寄り、十時前豊橋の米阿弥、稲垣氏を訪ふ。掘出しの車輪石、勾玉、管玉等を見る。
二十日。名古屋到着。待ち合わせていたドクトルロレツチヤは待あぐみて出立したとか。佐々木復助を尋る。
二十一日。佐々木氏と名古屋博覧会に赴き猿面茶室、徳川家の書斎、熱田神宮出品の『日本書紀』写本等を拝観。
二十二日。紙半で古筆年鑑を見、讃岐切五行を入手。日下部鳴鶴と合流して真福寺の宝物『古事記』写本を拝観。
二十三日。日下部氏とまた博覧会を訪れた後、関戸家へ赴き、抹茶家の同家の座敷向きや茶道具に感心する。
二十四日。大垣へ回るという日下部氏と別れ、津島経由で多度神社に赴く。参詣後、大黒屋に泊まる。
二十五日。桑名から新町の知人を訪ね、四日市から津に入る。
二十六日。岩村県令や岡、辻といった好古家を訪ね、前年になくなった野田九十郎宅に寄る。川喜田家も訪問。
二十七日。古銭家の長良氏を訪ねたあと、故郷の小野江では本楽寺で墓参し、本家久兵衛宅にて泊る。
二十八、二十九日。卯三郎同道、駒吉、倍吉等により、伊勢に入り亡き師足代弘訓宅を見舞う。両宮を参拝。
三十日。雨。松木美彦を訪い、豊宮崎文庫の物を見る。福井丹隠、松田適翁らが歓迎の小集を開いてくれた。
五月一日。宮川の上の渡しを船で渡り、田丸、丹生に到る。伊勢暦の版本を見、粥見の辻屋新七に宿を取る
二日。櫛田川に沿って西進。宮前、珍布峠を越えて赤尾、田引、七日市、波瀬と進んで、舟戸入口で宿をとる。
三日。荷物運びを頼み、舟戸から高見大峠に到る。小峠、杉谷を経て、あとは高見川に沿って一気に吉野に入る。
四日。喜蔵院の宮城氏の案内で諸仏堂を拝観。昨年約束をかわした竹林院隠居の古沢龍敬と連絡をとってもらう。
五日。昨年知り合って今回大峰奥駈けの行を共にする小西善導が到着。龍敬も帰ってきて顔合わせができた。
六日。メンバーは武四郎、善導、先達の喜右衞門の他、三人の合力がつくことになり、山中の持ち物を揃えた。
七日。一行六人で出発。戸開き参加の大勢の信者達に交じって山を登る。等覚門、妙覚門を経て山上本堂到着。
八日。早起きをして本堂前で般若経三巻を唱し、七時出発。小篠の宿、大普賢岳、石伏宿を経て弥山で泊まる。
九日。禅師宿、仏生山、孔雀岳、鐺返しを経てやっと釈迦岳に着いた。全方向、頂上からの眺望は圧巻であった。
十日。鉈削りで卒塔婆一本を作り、供養塔にする。今日の行程は前鬼までで行者坊に着く頃、雨が降り出した。
十一日。行者坊を基地に裏行場の前鬼川の遡行に出掛ける。滝の連続する行場だ。この山中で育てる仔牛を見る。
十二日。行者坊を出立。滝を見ながら坂道を下る。蝮に要注意。熊野街道に到着して、同行の善導たちと別れた。
十三日。宿の主人の案内で筏師の筏の操り様や曲乗りをおもしろく見物する。筏師達に東京の話をせがまれた。
十四日。高原村、平谷村、川端村、小松村。この辺り奇岩、大岩が多い。舟を雇って両岸絶壁の瀞八丁を下る。
十五日。案内を頼んで玉置山に登る。本宮に入り倉矢数見を尋ねた処、一宿をと勧められて泊まることとなった。
十六日。倉矢の案内で本宮とその周辺を探訪する。宮司の音無氏が出してくれた宝物を拝観。のち湯の峰に到る。
十七日。音無宮司が和歌三首の餞をしてくれた。本宮から新宮までの九里を舟で下る。着いて徐福の墓を尋ねる。
十八日。微雨。町内は西国巡礼が多く泊る、賑やかな町だ。祠官楠氏を訪ね、熊野速玉大社の宝物を拝見する。
十九日。井上、鳴神の両人同道で、熊野那智大社に参詣し、宝物を拝見した。那智の滝を眺め、実方院に泊まる。
二十日。那智の滝は高さも広さも無双の名瀑だ。案内の者を頼んで、那智の奥のいくつもの滝回りに出掛けた。
二十一日。出立。柿原茶屋、見起峠、湯川王子社、岩神坂、媒介茶屋。中河王子社を経て、栗栖川村に到り泊る。
二十二日。宿の亭主に荷物持ちを頼んで出立。市ノ瀬王子。後鳥羽院垢離場、影見王子社を経て田辺に到着した。
二十三日。船に乗っての湾内見物は風波荒くかなわなかった。綱不知、風なき浜等を見、、中内翁宅に到り宿る。
二十四日。御腰掛石、潮垢離の浜を経て、江の浜から船を雇って方養村へ。道成寺に到って門前に宿をとった。
二十五日。富安王子社等を経て鹿背山の峠を越す。湯浅町から船に乗って、翌朝早く紀伊三井寺の下に着いた。
二十六日。一日滞留してゆったり紀伊三井寺と和歌山城下を回る。倉田秋香宅に落ち着き元県令津田香巌を訪う。
二十七日。早天より志賀八十左衛門を尋ね、勢州泊村にて出土の古代鈴を譲り受ける。秋月村に至り紀氏を訪う。
二十八日。終日、和歌山の人との交流を図った。二十九日。紀伊和泉の堺を越え大鳥の富岡鉄斎宅に落ち着いた。
三十日。税所氏を訪ね、飲む。三十一日。鉄斎と堺に至り、竹林院隠居の古沢龍敬を訪ねる。一雄宅に落ち着く。
六月一日。大阪の知人宅を訪ねて回る。二日。田中猶次郞宅を訪う。天王寺の宝物を拝観するもあまり感心せず。
三日。阿波座の骨董商を訪う。四日。大阪の好古家たちが道修町池田氏宅にて送別の一小集を催してくれた。
五日。一番列車にて西京に着き、鏡匠の金森氏宅に宿を定む。 六日。旧知の者を訪い、小林氏宅で古物を見る。
七日。西嵯峨の山中氏を訪うて午後に到る。小松原、福井、高島に到る。夕方西陣森川を訪う。
八日。二条善導寺にて尚古会を催す。出品、参加者、前年に増し盛会となる。橘諸兄卿像が特に目にとまった。
九日。各方面に却礼に回る。西村氏に昨日の会の席上見た橘諸兄卿像の周旋を人に頼んだが、不調に終わった。
十日。京都駅に到り、発車間際に一人の婦人が橘諸兄卿像を抱いて持ってきてくれた。関の玉やに宿をとった。
十一日。晴海宿大津やに泊。 十二日。豊橋米善へ着す。十三日。日坂黒田や泊り。十四日。静岡柏原氏に着す。十五日。箱根角やに宿す。 十六日。藤沢大坂やにて泊る。十七日。十一時帰宅。亀次郎の容態は芳しくない。

六月十七日帰宅 亀次郎の容態が心配 [13年『庚辰紀行』]

十一日。晴海宿大津やに泊。
十二日。豊橋米善へ十一時頃に着す。太古、蓬宇、米阿弥等来る。稲垣氏に到る。。
十三日。日坂黒田や泊り。天竜川端金原明善による。戸川氏も来り飲む。
十四日。午前十一時静岡柏原氏に着す。当宿に滞留中の日下部鳴鶴君と逢い飲む。
十五日。午前十時に出立。箱根、山中村角やに宿す。涼し過ぎて夜半大に困る。
十六日。箱根。畑辺に到るや雨。小田原辺いよ〳〵降る。藤沢大坂やにて泊る。まだ三時前也。
十七日。金奈川に着、九時頃蒸気車にて十時五分に新橋着。十一時帰宅。亀次郎は自分が帰ったけれどさして悦ぶほどの気力がなかった。
十八日。柏木道雄、一雄、金森、卯三郎、吉野山、西村、中西、武輝等に帰着の旨知らせた。
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